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「映画 太陽の子」の脚本・監督 黒崎博さん

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日本でも戦時中、極秘裏に原爆開発が進んでいた―という事実を基に、若い科学者たちの夢や葛藤を描いた日米合作「映画 太陽の子」が12月10日から、広島市中区の八丁座で公開されます。米国でも秋から公開がスタート。10月に開催された米ロサンゼルスのアウェアネス映画祭では、長編映画部門審査員グランプリを受賞するなど国際的にも高い評価を得ています。完成までに10年という歳月を費やし、「国家と科学」の関係を問う難しいテーマに挑んだ黒崎博監督に作品への思いを聞きました。

あらすじ

1944年9月。海軍の密命を受けた京都帝国大理学部・荒勝文策教授(国村隼)の指導で、石村修(柳楽優弥)ら学生や研究員たちは、原子核爆弾につながる研究を進めていた。研究に没頭する日々の中、幼なじみの朝倉世津(有村架純)が建物疎開で家を失ったために修の家に居候することに。45年初夏。修の弟で軍人の裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰郷し、修と世津、裕之は再会を喜ぶ。しかし、修と世津は裕之の戦地で負った心の傷を感じてしまう。日本の戦局が悪化する中、修ら研究チームは原子核爆弾の開発を急ぐが、運命の8月6日が訪れる―。

若者たちの等身大の物語を

 

―リサーチに時間をかけたそうですね。

発端となったのは、10年ほど前に広島の図書館で見つけた若い研究者の1945年の日記でした。日記の主は、旧海軍の依頼で原爆開発に携わった旧京都帝大(現京都大)・荒勝文策研究室に所属し、被爆後の広島に入って調査した原子核物理学者の清水栄さん(故人)。日記を読んでいくと、大好きな科学に没頭していた普通の若者たちが戦争に、そして原爆開発に巻き込まれていった日常が遠い話ではないと思えてきました。これまでも多くのヒロシマ・ナガサキを扱った作品がありましたが、視点は常に被害者側にありました。この日記に触れ、原子核はとてつもない力を秘めている、とある意味無邪気に思っていた若者たちの等身大の物語を、ヒロシマの外側の視点で作ろうと思い立ちました。

 

その後、取材をするために荒勝研究室の研究員たちの消息を探しましたが、行方が分からなかったり、亡くなったりしていて一人も会えませんでした。最も接近できたのは、清水さんの日記にも登場する「石崎君」。彼は戦後、岩国市内の高校の教員になっていました。人づてにたどって住所が分かり、手紙を書きました。石崎さんのおいから連絡をいただき、私からの手紙を開封されることなく、お亡くなりになったと知らされました。彼の部屋には戦争当時について記したノートやメモがわずかに残っており、研究室の情報を少し得ることができました。また、旧陸軍側の原爆開発に携わった理化学研究所(東京)の仁科芳雄研究室についても調べ、そこにいた一人の研究員には話を聞けました。

 

 

そうやって研究者の足跡をたどり、残された文章などを読んでいると、彼らは楽しかっただろうなと思いました。罪深いかもしれませんが、徴兵を免れて当時の最先端だった原子物理学を学び、未知への探求に突き進んだのです。その熱気は私たちが夢中で映画を作ることと、どこか似ているとも感じました。

残されていた設計図を再現

 

―当時の実験室の再現も大変ではなかったですか。

実験室のリアリティーは重要だと考えていたので、美術スタッフがリサーチを頑張ってくれました。荒勝研究室の実験機器やノートは戦後、米軍に没収されてしまったために分からないことも多く、想像で補った部分ももちろんあります。ただ、清水さんら荒勝研究室のメンバーが記したウラン濃縮のための遠心分離機の設計図は残っていました。京都大の先生たちに集まってもらって、仕組みなどを解読してもらいました。その設計図よりも一回り大きく外見だけを再現して劇中に登場させたものの、あまりに小さくて、20億ドルもの巨額資金と12万人以上を動員したといわれるマンハッタン計画との違いに切なくなりました。

 

 

―劇中で、荒勝教授(国村隼)の複雑な立場や心情が描かれていて印象的です。

日本では原爆開発は不可能だと、研究者たちは分かっていたはずです。その上で、軍の資金を得て研究を続けながら若い研究員を徴兵から守ろうとしたのは、当時としては国に対する裏切り行為でしょう。一方で、「お国のために」という思いがなかったはずはない。その両方が本当で、大いなる矛盾をはらんでいたと思います。どちらか片側に寄せて描くのは正しくない気がしました。矛盾があるからこそ、作品にする意味があります。人間のコンシャス(意識的)とアンコンシャス(無意識的)の両面を描くことも、映画には不可欠だと思っています。アンコンシャスこそ、その人そのものを表すからです。

主人公「修」の表と裏の顔

 

―主人公の修(柳楽優弥)も好青年ながら、被爆後の惨状を目の当たりにしてなお、人命より原子核エネルギーへの興味が上回ってしまいます。

研究者としての狂気をはらんだ修の人物像は、想像の産物です。実際の荒勝研究室のメンバーは被爆から4日後の8月10日、広島に到着して調査しました。最先端科学が生み出した結果を世界で初めて目撃したのは日本の研究者だったわけで、彼らは「この体験を今後に生かさなければ」と強く感じたのではないでしょうか。科学技術の実践力では米国に完敗したあの状況で踏ん張って立っていようとしたら、修のような「行動」に出る研究者もいるのではと。

 

―そんな修が、比叡山の上で大きな握り飯を食べるシーンがあります。修の心情が変化していく大切な場面です。

柳楽君が人としての矛盾を感じながら修を演じた結果、生まれた演技です。数分間もせりふのない長いシーンを、ワンテークで撮り切りました。俳優として見事でした。登場人物それぞれに表と裏の顔があり、不協和音を奏でながら進んでいくのがこの作品ではないかと感じています。一方で、修と弟の裕之、世津の3人が海辺で楽しそうに過ごす美しいシーンを切り取り、ラストに持ってきています。戦時下であっても、若者たちが輝いていた一瞬があったことを皆さんの記憶にとどめてほしいと思いました。

 

「歴史は繰り返されている」

―現代でも最先端の科学技術を兵器に転用する研究が進んでいます。この映画を今の時代に送り出す意味は。

人工知能(AI)などが私たちの生活を豊かにしてくれている一方で、現代の戦争はAI技術を駆使した無人兵器が主流になっていくでしょう。だからといってテクノロジーの発展を止められませんし、科学がもたらす全てに科学者は責任を持てません。歴史が繰り返されているのです。この映画でそういったジレンマを感じて、考えるきっかけになればいいなと思っています。

プロフィル

 

くろさき・ひろし 1969年生まれ。岡山県出身。92年NHKに入局。主なドラマの演出作品は「帽子」(2008年)、文化庁芸術祭大賞、モンテカルロ・テレビ祭最優秀賞などを受賞した「火の魚」(09年)、「メイドインジャパン」(13年)、連続テレビ小説「ひよっこ」(17年)、「未解決事件File.07警察庁長官狙撃事件」(18年)、大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(21年)など。映画作品は「冬の日」(11年)、「セカンドバージン」(11年)。「映画 太陽の子」は、脚本「神の火」(Prometheus’ Fire)としてサンダンス・インスティテュート/NHK賞2015でスペシャル・メンション賞(特別賞)を受賞。その後、「太陽の子」(GIFT OF FIRE)と改題し、20年にパイロット版のドラマが放映された。現在、NHK制作局第2制作センター ドラマ番組部チーフ・プロデューサー

作品情報

 

「映画 太陽の子」

出演 柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、国村隼、ピーター・ストーメア、イッセー尾形、山本晋也ほか

監督・脚本 黒崎博

音楽 ニコ・ミューリー

主題歌 「彼方で」福山雅治

上映館 八丁座

この記事を書いた人

仁科久美(メディア中国編集部 ライター・編集者)

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