【あし太がめぐる民芸品#5】鳥取県 牛ノ戸焼き | アシタノ メインコンテンツにスキップする

【あし太がめぐる民芸品#5】鳥取県 牛ノ戸焼き

この記事をシェア

庶民の生活に寄り添う工芸品を『民芸品』と呼び、 その土地ならではの技法が全国各地で継承されています。 山陰地方の民芸品の代表格とも言えるうつわをご紹介します。

鳥取の豊かで雄大な自然風景を味わう器

緑×黒×白の3色の釉薬(ゆうやく)で染め分けた、大胆かつスタイリッシュなデザインが目を引く牛ノ戸焼。蔵元がある鳥取は、実は民芸のまち。豊富な森林資源や中国山地の砂、砂鉄を用いて、古くから多くの工芸品が作られてきました。

 

牛ノ戸焼窯の開窯は江戸末期。地元の良質な陶土を使い、高温で焼かれた固くて頑丈な牛ノ戸焼は、主に瓦や壺、すり鉢などの日用品として親しまれていました。ところが昭和初期、全国で陶器の大量生産技術が普及したことにより、牛ノ戸焼窯の活動は衰退。窯の継続が厳しくなる事態に陥ります。そこで復興のために活躍したのが、四代目窯主の小林秀晴と、医師兼民芸運動家であった吉田璋也という人物でした。

 

「民芸運動」とは、柳宗悦やバーナードリーチら「民芸運動家」たちが、日本全国の無名の職人たちが作り続ける工芸の美しさを「民芸」と名づけ、その思想や技術がより良いものになるよう指導・発信を行った活動のこと。現代に残っている民芸品のほとんどが、彼らによって魅力を追求されています。

 

吉田璋也も、そんな民芸運動家のひとり。鳥取市で医院を営む傍ら、牛ノ戸焼窯の技術を生かしながら、緑・黒・白の3色の釉薬を掛け分ける手法を考案。牛ノ戸焼の伝統を後世に残していくために指導・プロデュースを行いました。見た目も美しく、日常的に使いやすいうつわとして変化を遂げた牛ノ戸焼は、新作民芸の代表格と呼ばれるまでに発展したのです。

 

鳥取市では、吉田璋也が創設した鳥取民芸美術館や、日本初の民芸店・鳥取たくみ工芸店などで山陰の民芸を堪能することができます。旅行の際にはぜひ立ち寄ってみては。

この記事を書いた人

アシタノ編集部

関連タグ

関連記事一覧

TAG LIST