演劇プロデューサーとして活躍する 森元隆樹さん(三鷹市スポーツと文化財団副主幹・演劇企画員) | アシタノ メインコンテンツにスキップする

演劇プロデューサーとして活躍する 森元隆樹さん(三鷹市スポーツと文化財団副主幹・演劇企画員)

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「演劇の世界で三鷹の森元さんの名前を知らなかったら、もぐりですよ」と言われたことがあります。三鷹市芸術文化センター(東京都三鷹市)で演劇などの企画制作をしている広島市出身の森元隆樹さんは、期待の劇団を招いて共に作品を作る「MITAKA “Next” Selection」を20年以上も続けています。森元さんの鋭い「目利き」で掘り起こされ、同センターの「星のホール」での上演後にブレークを果たした劇団は数知れず。若い演劇人の育成にも貢献しています。公共ホールの演劇プロデューサーとして力を発揮する森元さんに、思いを聞きました。

三鷹で「若手の登竜門」を

CHAiroiPLIN「~おどる落語~あたま山」

 

―MITAKA “Next” Selectionをスタートさせたきっかけは。

三鷹市芸術文化センターが開館する前年の1994年に、演劇企画員として三鷹市文化振興事業団(現三鷹市スポーツと文化財団)に就職しました。そのころの公共ホールでは、演劇を公演丸ごと独自に企画する試みは、ほとんどありませんでした。また、三鷹は新宿から電車で15分ほど。都心に良質な作品を提供する民間劇場はいくらでもあります。それなら、「三鷹でしか見られない作品を世に出したい」と考え、集客数に関係なく、私自身が面白いと思った劇団とだけ組んで公演を企画しようと決めていました。

 

開館から数年ほどは、知名度のある劇団を招いて実績を積み上げた後、若手の登竜門のような場をつくろうと2001年、早稲田大の出身者で結成した「拙者ムニエル」をはじめとする3劇団を招いたのがネクストセレクションの始まりです。その後も年に2、3劇団のペースで声を掛けています。

招いた劇団がブレーク

ぱぷりか「きっぽ」

 

―劇団を選ぶ基準は何ですか。

年間100~150、多い時で約200公演という私自身の観劇体験が、土台になっています。判断基準は、脚本や演出に確かなオリジナリティーがあり、大人の鑑賞に堪えうる作品を作る力量があるかどうか。他人の評価や人気、受賞歴などは一切気にしません。お誘いする時に、その劇団が無名で集客力がなくても、星のホール(最大250席)での約2週間の公演をお願いします。

 

4、5日間の公演しか経験していない劇団にとっては冒険ですが、「劇場内の客席は可動式だから、しつらえを変えて、観客席を少なくしてもいいですから」とチャレンジを促します。週末を2回含めた公演期間があれば口コミで客足が伸びる可能性があり、飛躍の足掛かりをつかみやすくなります。例えば09年に上演した、柴幸男さん主宰の劇団「ままごと」の代表作「わが星」は、ゲネプロを見て再演をお願いしたほどの出来栄えで、尻上がりにお客さんが増えて大盛況でした。

 

iaku 「逢いに行くの、雨だけど」

 

招いた劇団が成長し、脚本や演出を手掛けた作り手が、演劇界の芥川賞といわれている岸田国士戯曲賞を受賞するなど活躍してくれているのはうれしいですね。広島にゆかりのある劇団でいえば、22年に岸田国士戯曲賞を取った福名理穂さん(広島市出身)主宰の「ぱぷりか」や、2月に演劇引力廣島プロデュース公演で作・演出をされた横山拓也さん主宰の「iaku」なども、ネクストセレクションに出演してもらっています。

 

 

「自分の味 全力で追求して」

 

(小松台東「シャンドレ」)

 

―育成の場にもなっていますね。

おこがましいかもしれませんが、スタッフワークで成長途上な部分があれば、フォローやアドバイスを惜しみません。公演までの準備を共にしていく中で、「三鷹のやり方が参考になれば、どうぞ今後も採用してください」というスタンスです。また、若い演劇人からは「どうやったらお客さんを集められますか」という悩みをよく相談されます。そういう時は、演劇をラーメン屋に例えて話します。豚骨や塩、みそなど多彩なラーメンがある中で、「自分はこの味と決めて、これがおいしくないと言われたら、仕方ないと開き直れるほどのラーメンを作っていますか。まずは全力を振り絞って、面白い作品づくりに集中してください。はやるための店構えやトッピングは、それからです」と励ましています。

 

私自身も大学4年生で劇団を立ち上げ、27歳まで打ち込みました。やめた時には借金があり、2年間のアルバイト生活で完済させた経験があります。20代で骨身に染みたのが、「お金にならないのに、自分の演劇づくりに手を差し伸べてくれた」人たちのありがたさ。今も、職場の部下も含め若い人たちには、縁の下で支えてくださる方たちの存在を大切にしてほしいと、いつも伝えています。

 

ままごと「わが星」

 

―広島の演劇人にもメッセージを。

私が広島にいた頃よりも、演劇を作る、見る土壌が格段にふくよかになっていてうらやましいです。面白い作品を拝見できた際には、地方発の劇団も何度か三鷹にお呼びしていますので、オリジナリティーあふれる作品で勝負する広島の劇団と、いつか一緒に仕事がしたいですね。

プロフィル

 

もりもと・たかき 1964年生まれ、広島市南区出身。修道中・高校を経て早稲田大社会科学部を卒業。同大在学中に劇団を結成。解散後の94年9月に、三鷹市文化振興事業団(現・公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団)に就職。演劇企画員として95年11月に開館した三鷹市芸術文化センターを中心とした施設で演劇や落語、映画、古典芸能の公演の企画制作に従事。現在、副主幹。

この記事を書いた人

仁科久美(メディア中国編集部 ライター・編集者)

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